「マジンガーZ」などたくさんの有名なアニメの主題歌を歌い、「アニメソングの帝王」とも呼ばれた歌手の水木一郎さんが2022年12月6日、肺がんのため東京都内の病院で亡くなりました。
今回の記事では、水木一郎さんの若い頃のかっこいい画像や現在の年齢、また肺がんになってからは車いすにのっていた噂などを調べていきます。
水木一郎の若い頃
水木一郎さんの若いころの画像から経歴を振り返って見ていきます。
幼少期
1948年、水木一郎さんは都内でレコード店を経営する家に生まれました。
幼少時代からジャズのレコードを聴くなど音楽に親しんでいたようです。
水木さんの母親がアメリカンジャズが好きだった影響から、2歳ころからビング・クロスビーの「ホワイトクリスマス」を英語風歌詞で歌っていたのだとか。
でたらめの英語の歌詞だったみたいです(笑)
音楽の英才教育を受けていたんですね!
落語にはまった中学時代
水木さんは、中学校の夏休みに友達と落語を見に行ったのをきっかけに落語にハマったんだとか。
水木さん自らで「水中亭源五郎」を名乗って落語をやり始めたのだそう。
古典落語の『饅頭怖い』や『平林』を覚え、老人ホームなどで披露したこともあるんだそうですよ!
歌手デビュー
16歳の時(1964年)に水木さんはザ・ドリフターズの2代目リーダーの桜井輝夫さんの勧めで、ジャズ喫茶『ラ・セーヌ』で開催されたオーディションに参加します。
そこで水木一郎さんは、ジョニー・シンバルの『僕のマシュマロちゃん』を歌唱し、見事に優勝したのです。
その後、1965年に作詞家の和田香苗に弟子入りした水木一郎さんは、下積み時代を経て、20歳だった1968年に『君にささげる僕の歌』で歌謡曲歌手デビューを果たしています。
でも売り上げがよかったとは言えず、一時歌手の道から遠のいています。
アニソン歌手で大ブレイク
水木一郎さんは生活のためにナイトクラブやキャバレーで歌う日々を送っていました。
しかし、水木さんは23歳(1971年)の時にに、テレビアニメ「原始少年リュウ」の主題歌「原始少年リュウが行く」を歌う仕事の依頼を受けます。
このことがきっかけとなって、水木さんは次々とアニメや特撮の主題歌に起用されて、1日1度はテレビで水木さんの歌う曲が流れる大ブレイクとなりました!
水木さんの歌ったアニメ主題歌をまとめておきます。
- 「ぼくらのバロム1」(超人バロム・1)
- 「マジンガーZ」
- 「バビル2世」
- 「侍ジャイアンツ」
- 「おれはグレートマジンガー」(グレートマジンガー)
- 「セタップ!仮面ライダーX」(仮面ライダーX)
- 「がんばれロボコン」
- 「仮面ライダーストロンガーのうた」(仮面ライダーストロンガー)
- 「テッカマンのうた」(宇宙の騎士テッカマン)
- 「鋼鉄ジーグのうた」(鋼鉄ジーグ)
- 「コン・バトラーVのテーマ」(超電磁ロボ コン・バトラーV)
- 「キャプテンハーロック」(宇宙海賊キャプテンハーロック)
- 「ルパン三世 愛のテーマ」(ルパン三世)
- 「燃えろ!仮面ライダー」(仮面ライダー)
- 「夢を勝ちとろう」(プロゴルファー猿)
「おかあさんといっしょ」の2代目うたのおにいさんに抜擢
水木さんは、28歳のころ(1976年4月から1979年3月)に、NHK「おかあさんといっしょ」の2代目うたのおにいさんを務めました。
水木さん自身の歌うアニメソングがヒット曲連発したことから、子供達からの絶大な人気を得たことが証明されました。
人気を博した2人の歌のお兄さん、横山だいすけさんと水木さんの2ショットはかなり話題になりましたよね!
主題歌レコードのギネス記録
水木さんは、34歳(1982年)に水木さんの歌う主題歌のレコードの販売枚数が700万枚以上となったころから、ギネス認定されています。
ここまでで、水木さんの最大のヒット作であるマジンガーZは70万枚を売り上げています。
水木一郎の現在の年齢は?
水木一郎さんは現在の年齢74歳です。
1948年1月7日生まれで、2022年12月6日午後6時50分に亡くなりました。
こちらは水木さんが自ら行った最後のTwitterの投稿です。
子供をはじめ、多くの世代から愛される人物でした。
肺がんで車いすに乗っていた!
水木さんは2021年4月以降、肺がんの治療とリハビリをしながら精力的に音楽活動を続けていました。
水木さんはリンパ節転移と脳転移を伴う肺がんの治療中でした。
肺がんのリンパ節転移と脳転移
通常、IV期(ステージ4)と診断された肺がん患者さんの場合には、手術を行うことはありません。
IV期の状態では、他の臓器に肺がんが転移しているため治療の主体は薬物療法となります。
引用:国立がん研究センター中央病院
そして、2022年7月に水木さんは肺がんであることを公表しました。
2022年11月6日に東京・中野サンプラザで行われた「第49回歌謡祭」に水木さんは車イスで出演し、「マジンガーZ」を若い頃と変わらず力強く熱唱していたようです。
車いすもラインストーンで装飾していましたよ!
このときのライブで、水木さんは
元気になって戻って来ます!生涯現役!
と、完全復活することを決してあきらめてはいませんでした。
2022年11月27日にも水木さんはライブを行っていて、これが最後のライブになってしまいました。
まとめ
今回の記事では、肺がんのためなくなった水木一郎さんの若い頃の画像から経歴を見ていきました。
また、74歳になり、肺がんを公表してからも車いすに乗りながら水木さんは歌手としての人生を走り抜けました。
また、偉大な方が亡くなってしまうのは本当に悲しいですね。
ご冥福をお祈りいたします。
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